2014年08月10日
【平和への誓い】
昨日8月9日、長崎平和祈念式典で、被爆者代表として城臺(じょうだい)美彌子さんが、あいさつをされました。
城臺さんは、NAZENナガサキの発起人でもある方です。

安倍首相の眼前で、真っ向から集団的自衛権、武器輸出・原発輸出を批判され、福島からの避難や廃炉を訴えたスピーチが、反響を呼んでいます。
NHKの中継でも、「今進められている集団的自衛権の行使容認は、日本国憲法を踏みにじった暴挙です。!」と話されたくだりで、安倍首相が顔をしかめこわばらせている映像がはっきりとわかりました。

ぜひ動画で見ていただきたく、そして全文を読んでいただきたく、ここに紹介します。
動画は、Youtubeに掲載されていたものを・・・あいさつ全文は、新聞などで掲載されている文章と、実際のあいさつとは若干違うため、動画から書き起こしました。
【平和への誓い】
1945年6月半ばになると、一日に何度も警戒警報や、空襲警報のサイレンが鳴り始め、当時6歳だった私は、防空頭巾がそばにないと安心して眠ることができなくなっていました。
8月9日の朝、ようやく目が覚めた頃、あのサイレンが鳴りました。「空襲警報よ、はよ山まで行かんば」緊迫した祖母の声で、立山町の防空壕へ登りました。
爆心地から2.4キロの地点、金比羅山中腹にある、現在の長崎中学校校舎の真裏でした。
しかし、敵機は来ず、「空襲警報解除!」の声で多くの市民や子どもたちは、「今のうち」と防空壕を飛び出しました。
その頃、原爆搭載機B29が長崎上空へ深く侵入していたのです。
私も、山の防空壕からちょうど家に戻った時でした。おとなりの同級生、トミちゃんが、「みやちゃーん、遊ぼう」と外から呼びました。
その瞬間、『キラッ!』と光りました。
そのあと、何が起こったのか、自分がどうなったのか、何も覚えておりません。しばらくたって、私は家の床下から助け出されました。
外から私を呼んでいたトミちゃんは、その時何のケガもしていなかったのに、お母さんになってから、突然亡くなりました。
たった一発の爆弾で、人間が人間でなくなる。
たとえその時を生き延びたとしても、突然に現れる原爆症で、多くの被爆者が命を落としていきました。
私自身には何もなかったのですが、被爆三世である幼い孫娘を亡くしました。
私が被爆者でなかったら、こんなことにならなかったのではないかと、悲しみ、苦しみました。
原爆がもたらした目に見えない放射線の恐ろしさは、人間の力ではどうすることもできません。
今、強く思うことは、この恐ろしい、非人道的な核兵器を、世界から一刻も早く、なくすことです。
そのためには核兵器禁止条約の早期実現が必要です。
被爆国である日本は世界のリーダーとなって、先頭に立つ義務があります。
しかし、現在の日本政府はその役割を果たしているのでしょうか。
今進められている集団的自衛権の行使容認は、日本国憲法を踏みにじった暴挙です。
日本が戦争ができる国になり、日本の平和を武力で守ろうと言うのですか。武器製造、武器輸出は戦争への道です。
一旦戦争が始まると、戦争が戦争を呼びます。歴史が証明しているではありませんか。
日本の未来を担う若者や、子どもたちをおびやかさないで下さい。平和の保障をしてください。
被爆者の苦しみを忘れ、なかったことにしないで下さい。
福島には、原発事故の放射能汚染で、未だ故郷に戻れず、仮設住宅暮らしや、よそへ避難を余儀なくされている方々が大勢おられます。
小児甲状腺がんの宣告を受けて、おびえ苦しんでいる親子もいます。
このような状況の中で、原発再稼働、原発輸出、おこなっていいのでしょうか。
使用済み核燃料の処分法もまだ未解決です。早急に廃炉を検討して下さい。
被爆者は、サバイバーとして残された時間を命がけで語り継ごうとしています。
小学1年生も、保育園生さえも、私たちの言葉をじっと聞いてくれます。
このこと、子どもたちを、戦場へ送ったり、戦火に巻き込ませてはならないという思い、いっぱいで語っています。
長崎市民の皆さん、いいえ世界中のみなさん、再び愚かな行為を繰り返さないために、被爆者の心に寄り添い、被爆の実相を語り継いで下さい。
日本の真の平和を求めて、ともに歩きましょう。
私も被爆者の一人として、力の続く限り、被爆体験を伝え残していく決意を、皆様にお伝えし、私の平和への誓いといたします。
平成26年8月9日
被爆者代表 城臺美彌子
城臺さんは、NAZENナガサキの発起人でもある方です。

安倍首相の眼前で、真っ向から集団的自衛権、武器輸出・原発輸出を批判され、福島からの避難や廃炉を訴えたスピーチが、反響を呼んでいます。
NHKの中継でも、「今進められている集団的自衛権の行使容認は、日本国憲法を踏みにじった暴挙です。!」と話されたくだりで、安倍首相が顔をしかめこわばらせている映像がはっきりとわかりました。

ぜひ動画で見ていただきたく、そして全文を読んでいただきたく、ここに紹介します。
動画は、Youtubeに掲載されていたものを・・・あいさつ全文は、新聞などで掲載されている文章と、実際のあいさつとは若干違うため、動画から書き起こしました。
【平和への誓い】
1945年6月半ばになると、一日に何度も警戒警報や、空襲警報のサイレンが鳴り始め、当時6歳だった私は、防空頭巾がそばにないと安心して眠ることができなくなっていました。
8月9日の朝、ようやく目が覚めた頃、あのサイレンが鳴りました。「空襲警報よ、はよ山まで行かんば」緊迫した祖母の声で、立山町の防空壕へ登りました。
爆心地から2.4キロの地点、金比羅山中腹にある、現在の長崎中学校校舎の真裏でした。
しかし、敵機は来ず、「空襲警報解除!」の声で多くの市民や子どもたちは、「今のうち」と防空壕を飛び出しました。
その頃、原爆搭載機B29が長崎上空へ深く侵入していたのです。
私も、山の防空壕からちょうど家に戻った時でした。おとなりの同級生、トミちゃんが、「みやちゃーん、遊ぼう」と外から呼びました。
その瞬間、『キラッ!』と光りました。
そのあと、何が起こったのか、自分がどうなったのか、何も覚えておりません。しばらくたって、私は家の床下から助け出されました。
外から私を呼んでいたトミちゃんは、その時何のケガもしていなかったのに、お母さんになってから、突然亡くなりました。
たった一発の爆弾で、人間が人間でなくなる。
たとえその時を生き延びたとしても、突然に現れる原爆症で、多くの被爆者が命を落としていきました。
私自身には何もなかったのですが、被爆三世である幼い孫娘を亡くしました。
私が被爆者でなかったら、こんなことにならなかったのではないかと、悲しみ、苦しみました。
原爆がもたらした目に見えない放射線の恐ろしさは、人間の力ではどうすることもできません。
今、強く思うことは、この恐ろしい、非人道的な核兵器を、世界から一刻も早く、なくすことです。
そのためには核兵器禁止条約の早期実現が必要です。
被爆国である日本は世界のリーダーとなって、先頭に立つ義務があります。
しかし、現在の日本政府はその役割を果たしているのでしょうか。
今進められている集団的自衛権の行使容認は、日本国憲法を踏みにじった暴挙です。
日本が戦争ができる国になり、日本の平和を武力で守ろうと言うのですか。武器製造、武器輸出は戦争への道です。
一旦戦争が始まると、戦争が戦争を呼びます。歴史が証明しているではありませんか。
日本の未来を担う若者や、子どもたちをおびやかさないで下さい。平和の保障をしてください。
被爆者の苦しみを忘れ、なかったことにしないで下さい。
福島には、原発事故の放射能汚染で、未だ故郷に戻れず、仮設住宅暮らしや、よそへ避難を余儀なくされている方々が大勢おられます。
小児甲状腺がんの宣告を受けて、おびえ苦しんでいる親子もいます。
このような状況の中で、原発再稼働、原発輸出、おこなっていいのでしょうか。
使用済み核燃料の処分法もまだ未解決です。早急に廃炉を検討して下さい。
被爆者は、サバイバーとして残された時間を命がけで語り継ごうとしています。
小学1年生も、保育園生さえも、私たちの言葉をじっと聞いてくれます。
このこと、子どもたちを、戦場へ送ったり、戦火に巻き込ませてはならないという思い、いっぱいで語っています。
長崎市民の皆さん、いいえ世界中のみなさん、再び愚かな行為を繰り返さないために、被爆者の心に寄り添い、被爆の実相を語り継いで下さい。
日本の真の平和を求めて、ともに歩きましょう。
私も被爆者の一人として、力の続く限り、被爆体験を伝え残していく決意を、皆様にお伝えし、私の平和への誓いといたします。
平成26年8月9日
被爆者代表 城臺美彌子
2014年05月15日
『美味しんぼ』の現実・・・
今話題になっている『美味しんぼ』・・・実際には読んでいなかったので、よくわかっていなかったのですが、マイミクでFBでも友達になってくれているフォークシンガー長さんの投稿で理解できました。
セリフの一部分を取り上げて、国のミスを隠そうとしている・・・。
現実は福島への風評被害を引き起こすものでもなんでもないと思う・・・現実を直視しろということだ。

井戸川:
私が思うに、福島に鼻血が出たり、ひどい疲労感で苦しむ人が大勢いるのは、
被ばくしたからですよ。
松井:
大阪で受け入れたガレキを処理する焼却場の近くに住む住民1000人ほどを対象にお母さんたちが調査したところ、
放射線だけの影響と断定できませんが、眼や呼吸器系の症状が出ています。
鼻血、眼、のどや皮膚などに不快な症状を訴える人がおよそ800人あったのです。
山岡士郎:鼻血は放射線で炎症が起きたからですか。
松井:
鼻の粘膜や毛細血管の70~80%は水でできています。
水の分子(H2O)は放射線で切断されて水酸基(-OH)という様な、毒性の強いラジカルと呼ばれるものになる。
しかも、ラジカルがくっついて分子に戻った時、
今度はオキシフルとして消毒液に使われるくらい毒性の強い過酸化水素分子(H2O2)になることがある。
このように、放射線は直接粘膜や毛細血管の細胞・DNAを傷つけますが、
同時に水の分子が切断されて細胞の中にできる、ラジカルによる間接作用が大きいのです。
まだ医学会に異論はありますが、
鼻血や強い疲労感などにその影響は十分考えられます。
山岡士郎:そうか、それで鼻の粘膜の細胞が破れて鼻血が出るんだ。
海原雄山:
放射線の被害というと癌の事ばかり取り沙汰されるが、
放射線は人間の体の全ての部分に影響を与えるのだ。
井戸川:だから、私は前町長として双葉町の町民に福島県内には住むなと言っているんです。
岡星良三:福島にいると危ないと。
井戸川:
今までの対応から東電と国のいう事を信じてはいけないと思うからです。
今度の事故まで東電は原発は絶対安全だと私たちに信じ込ませていた。
事故の起こった3月11日の15時36分には、原発は電源喪失して冷却も出来ないことが分かった。
そうなれば次はどうなるか誰にでもわかる。
しかし国が避難指示(第一原発10kmの避難指示)を出したのは12日の朝5時44分です。
山岡ゆう子:それはいかにも遅すぎるわ。
井戸川:
避難指示は出たけれど、避難場所は用意されていない。
避難道路もつくられていないから道が混雑して逃げられない。
そのうちに、12日の午後3時36分ごろ1号機が爆発した。
しかし、それ以前の2時半ごろ、東電は圧力容器内の蒸気を抜くためのベント作業を行い、
その際に大量の放射性物質を放出した。
それで爆発以前に双葉町では毎時1590マイクロシーベルトを計測しているんです。
飛沢周一:1号機の爆発以前にそれほどの放射性物質が放出されていたんだ!
井戸川:そうとは知らず、避難最中の我々はその放射線を浴び続けたんです。
富井富雄:それは、ひどい・・・
中川徳夫:むごすぎる・・・
井戸川:
私は政府の事故対策会議にも、福島県の会議にも呼ばれた事がありません。
それなのに、汚染土壌を貯蔵する放射性廃棄物の中間貯蔵施設を双葉郡につくると国と福島県が言う。
私は、その福島県と双葉郡の会議に出席しなかった。
それを町議会で咎められて不信任議決を受けたので辞任しました。
中口新介:その町議会はおかしいですよ。どうして不信任するんです。
難波大助:井戸川さんが邪魔な勢力があるんや…
井戸川:
私はとにかく、今の福島に住んではいけないと言いたい。
どんな獣でも鳥でも自分の子どもを守るために全力を尽くす。
どうして人間に出来ないんですか。
子どもの命が大事でしょう。
海原雄山:
私が福島をまわる間に感じていた事を井戸川さんに明確に言っていただいて、
胸のつかえが下りました。
山岡士郎:しかし、事実を言うと町長を辞めさせられるこの日本という国は・・・
双葉町のみなさんが避難している埼玉県の高校
ー略ー
山岡士郎:
事故から2年以上たっているのに、まだこんな避難生活を続けているとは…
仮設住宅も厳しいが、この校舎での仮住まいも厳しい。
海原雄山:
あの方たちの平和な生活を奪った東電と国は、
あの方たちの人の良さ、がまん強さを言い事に何も責任を取っていない。
山岡士郎:怒りがこみ上げてくる。
飛沢周一:
井戸川さんの福島に住んではいけないという言葉、
ご自身の体験をもとに考えに考え抜いた言葉だと思う。
だから、嘘偽りなく重い。
岡星良三:ほんとうの勇気がなければ言えない言葉だ。
眼鏡の人:福島に住んではいけないという方がもう一人います。福島大学の荒木田先生です。
富井富雄:是非その先生のお話を伺いたい。
山岡士郎:しかし驚いたよ。俺だけでなく、親父も鼻血が出ていたとはな。
ー略ー
荒木田:
福島がもう取り返しのつかないまでに汚染された、と私は判断しています。
問題の出発点として、この現実を認めるかどうかで対応が違ってきます。
山岡士郎:取り返しのつかないまでに汚染されている。
山岡ゆう子:それは厳しい認識だわ。
荒木田:私は何度も除染しました。そのたびに、喉が痛くなるなど具合が悪くなり、終わると寝込む。
山岡士郎:それは単なる疲労ではなく。
荒木田:
分かりませんが、必ず寝込む。
しかも除染をしても汚染は取れない。
みんなで子どもの通学路の除染をして、これで子どもたちを呼び戻せるぞ、などと盛り上がっても、
そのあと測ったら、毎時12マイクロシーベルトだったこともある。
汚染物質が山などから流れ込んできて、すぐに数値が戻るんでウs。
山岡士郎:
除染といってもセシウムなどの放射能を打ち消せるわけがなく、
単に他の場所に移動させるだけだからな。
荒木田:
除染作業をしてみて初めて分かったんです。
除染作業がこんなに危ないということ。
そして、福島はもう住めない、安全には暮らせないということも。
海原雄山:放射性物質に全身をさらすのだから除染作業は危険だ。
富井富雄:でも、土地に愛着があって離れられないと言う人の話も沢山聞きました。
荒木田:
私の買った土地は、今でも毎時1.5マイクロシーベルトありますし…
すぐ下の河原は1キログラム当たり43万ベクレルでした。
愛着があっても自分の体を蝕むかもしれない所で住むのか。
その土地が汚染されてしまっている現実を直視するかどうかですね。
山岡士郎:厳しいが、現実はその通りだ。
荒木田:
除染に意味があるとすれば…
たとえば阿賀野川を除染して、日本海に広がるのを阻止するなど、
汚染を広げない作業です。
福島を広域に除染して人が住めるようにするなんて、出来ないと私は思います。
山岡士郎:除染が出来ないのでは、福島の復興といっても難しい。
海原雄山:これが福島の真実なのだ。
セリフの一部分を取り上げて、国のミスを隠そうとしている・・・。
現実は福島への風評被害を引き起こすものでもなんでもないと思う・・・現実を直視しろということだ。

井戸川:
私が思うに、福島に鼻血が出たり、ひどい疲労感で苦しむ人が大勢いるのは、
被ばくしたからですよ。
松井:
大阪で受け入れたガレキを処理する焼却場の近くに住む住民1000人ほどを対象にお母さんたちが調査したところ、
放射線だけの影響と断定できませんが、眼や呼吸器系の症状が出ています。
鼻血、眼、のどや皮膚などに不快な症状を訴える人がおよそ800人あったのです。
山岡士郎:鼻血は放射線で炎症が起きたからですか。
松井:
鼻の粘膜や毛細血管の70~80%は水でできています。
水の分子(H2O)は放射線で切断されて水酸基(-OH)という様な、毒性の強いラジカルと呼ばれるものになる。
しかも、ラジカルがくっついて分子に戻った時、
今度はオキシフルとして消毒液に使われるくらい毒性の強い過酸化水素分子(H2O2)になることがある。
このように、放射線は直接粘膜や毛細血管の細胞・DNAを傷つけますが、
同時に水の分子が切断されて細胞の中にできる、ラジカルによる間接作用が大きいのです。
まだ医学会に異論はありますが、
鼻血や強い疲労感などにその影響は十分考えられます。
山岡士郎:そうか、それで鼻の粘膜の細胞が破れて鼻血が出るんだ。
海原雄山:
放射線の被害というと癌の事ばかり取り沙汰されるが、
放射線は人間の体の全ての部分に影響を与えるのだ。
井戸川:だから、私は前町長として双葉町の町民に福島県内には住むなと言っているんです。
岡星良三:福島にいると危ないと。
井戸川:
今までの対応から東電と国のいう事を信じてはいけないと思うからです。
今度の事故まで東電は原発は絶対安全だと私たちに信じ込ませていた。
事故の起こった3月11日の15時36分には、原発は電源喪失して冷却も出来ないことが分かった。
そうなれば次はどうなるか誰にでもわかる。
しかし国が避難指示(第一原発10kmの避難指示)を出したのは12日の朝5時44分です。
山岡ゆう子:それはいかにも遅すぎるわ。
井戸川:
避難指示は出たけれど、避難場所は用意されていない。
避難道路もつくられていないから道が混雑して逃げられない。
そのうちに、12日の午後3時36分ごろ1号機が爆発した。
しかし、それ以前の2時半ごろ、東電は圧力容器内の蒸気を抜くためのベント作業を行い、
その際に大量の放射性物質を放出した。
それで爆発以前に双葉町では毎時1590マイクロシーベルトを計測しているんです。
飛沢周一:1号機の爆発以前にそれほどの放射性物質が放出されていたんだ!
井戸川:そうとは知らず、避難最中の我々はその放射線を浴び続けたんです。
富井富雄:それは、ひどい・・・
中川徳夫:むごすぎる・・・
井戸川:
私は政府の事故対策会議にも、福島県の会議にも呼ばれた事がありません。
それなのに、汚染土壌を貯蔵する放射性廃棄物の中間貯蔵施設を双葉郡につくると国と福島県が言う。
私は、その福島県と双葉郡の会議に出席しなかった。
それを町議会で咎められて不信任議決を受けたので辞任しました。
中口新介:その町議会はおかしいですよ。どうして不信任するんです。
難波大助:井戸川さんが邪魔な勢力があるんや…
井戸川:
私はとにかく、今の福島に住んではいけないと言いたい。
どんな獣でも鳥でも自分の子どもを守るために全力を尽くす。
どうして人間に出来ないんですか。
子どもの命が大事でしょう。
海原雄山:
私が福島をまわる間に感じていた事を井戸川さんに明確に言っていただいて、
胸のつかえが下りました。
山岡士郎:しかし、事実を言うと町長を辞めさせられるこの日本という国は・・・
双葉町のみなさんが避難している埼玉県の高校
ー略ー
山岡士郎:
事故から2年以上たっているのに、まだこんな避難生活を続けているとは…
仮設住宅も厳しいが、この校舎での仮住まいも厳しい。
海原雄山:
あの方たちの平和な生活を奪った東電と国は、
あの方たちの人の良さ、がまん強さを言い事に何も責任を取っていない。
山岡士郎:怒りがこみ上げてくる。
飛沢周一:
井戸川さんの福島に住んではいけないという言葉、
ご自身の体験をもとに考えに考え抜いた言葉だと思う。
だから、嘘偽りなく重い。
岡星良三:ほんとうの勇気がなければ言えない言葉だ。
眼鏡の人:福島に住んではいけないという方がもう一人います。福島大学の荒木田先生です。
富井富雄:是非その先生のお話を伺いたい。
山岡士郎:しかし驚いたよ。俺だけでなく、親父も鼻血が出ていたとはな。
ー略ー
荒木田:
福島がもう取り返しのつかないまでに汚染された、と私は判断しています。
問題の出発点として、この現実を認めるかどうかで対応が違ってきます。
山岡士郎:取り返しのつかないまでに汚染されている。
山岡ゆう子:それは厳しい認識だわ。
荒木田:私は何度も除染しました。そのたびに、喉が痛くなるなど具合が悪くなり、終わると寝込む。
山岡士郎:それは単なる疲労ではなく。
荒木田:
分かりませんが、必ず寝込む。
しかも除染をしても汚染は取れない。
みんなで子どもの通学路の除染をして、これで子どもたちを呼び戻せるぞ、などと盛り上がっても、
そのあと測ったら、毎時12マイクロシーベルトだったこともある。
汚染物質が山などから流れ込んできて、すぐに数値が戻るんでウs。
山岡士郎:
除染といってもセシウムなどの放射能を打ち消せるわけがなく、
単に他の場所に移動させるだけだからな。
荒木田:
除染作業をしてみて初めて分かったんです。
除染作業がこんなに危ないということ。
そして、福島はもう住めない、安全には暮らせないということも。
海原雄山:放射性物質に全身をさらすのだから除染作業は危険だ。
富井富雄:でも、土地に愛着があって離れられないと言う人の話も沢山聞きました。
荒木田:
私の買った土地は、今でも毎時1.5マイクロシーベルトありますし…
すぐ下の河原は1キログラム当たり43万ベクレルでした。
愛着があっても自分の体を蝕むかもしれない所で住むのか。
その土地が汚染されてしまっている現実を直視するかどうかですね。
山岡士郎:厳しいが、現実はその通りだ。
荒木田:
除染に意味があるとすれば…
たとえば阿賀野川を除染して、日本海に広がるのを阻止するなど、
汚染を広げない作業です。
福島を広域に除染して人が住めるようにするなんて、出来ないと私は思います。
山岡士郎:除染が出来ないのでは、福島の復興といっても難しい。
海原雄山:これが福島の真実なのだ。
2013年01月16日
大島渚監督死去・・・
映画監督の大島渚さんが亡くなった。

歯に衣着せぬ発言で、多くの話題を作った人だが、映画『愛のコリーダ』は当時『裸婦』を描いていた僕にとっても衝撃的な作品だった。
と言っても、映画館が苦手な僕は、実際に映画を観たわけではなくスチール写真展に行ったのだが・・・。
エロスを表現する・・・という意味で、絵描き仲間と物議を・・・若かったなぁと思う・・・。
『愛のコリーダ』
世間を震撼させた阿部定事件を題材にし、究極の愛とエロスを描き、世界を瞠目させた傑作。

歯に衣着せぬ発言で、多くの話題を作った人だが、映画『愛のコリーダ』は当時『裸婦』を描いていた僕にとっても衝撃的な作品だった。
と言っても、映画館が苦手な僕は、実際に映画を観たわけではなくスチール写真展に行ったのだが・・・。
エロスを表現する・・・という意味で、絵描き仲間と物議を・・・若かったなぁと思う・・・。
『愛のコリーダ』
世間を震撼させた阿部定事件を題材にし、究極の愛とエロスを描き、世界を瞠目させた傑作。
2012年09月13日
奇跡の一本松が伐採


陸前高田市の奇跡の一本松が伐採された。
この松はもともといわゆる高田松原の松ではなく、少し離れたところに立っており、海側にある建物(ユースホステル)の陰になったため、津波の直撃を免れたらしい。
それでも荒涼とした場所にただ一人生命を誇示するように立つ姿は多くの人に勇気を与え、陸前高田の象徴になっていた。
残念なことだが、これもやむを得ないことだろう。
この一本松の近くで咲いていたヒマワリの種を、昨年、ライブに来た永原元さんからいただいた。
それが今年大きな花を咲かせ(波平と名付けました)、たくさんの種を作ってくれた。
その種を携えて(皆さんにお配りするために)ライブの旅に出ます。
『DONYA&ジロー ライブ@音ノ杜』
会場:藤沢市・善行 音ノ杜
◇音楽と音楽の話のあるカフェ&BAR
(小田急江ノ島線 善行駅西口徒歩約2分)
日時:9月15日(土)p.m.7:00(OPEN6:00)
Music charge=¥2.000-
ライブ会場『音ノ杜』さんで、皆さんに種をお配りします。
2011年11月17日
2011年11月16日
2011年05月24日
基地誘致
やはり・・・産業のない地域では、安全までも売り渡そうと考えるのか・・・沖縄・国頭村で一部住民が基地誘致
原発にしても、米軍基地にしても・・・目先の豊かさを求めて、未来を売り渡すようなものだと思うのですが・・・。

『OKINAWA』1995 frottage 紙
原発にしても、米軍基地にしても・・・目先の豊かさを求めて、未来を売り渡すようなものだと思うのですが・・・。

『OKINAWA』1995 frottage 紙
2011年05月05日
被災地からのお客様・・・
昨日 伊豆の国市・寿荘にて。宮城県石巻の避難所からいらしている皆さんを励ますためのミニコンサートが行なわれました。
ウッチ&グッチーさんの司会進行でスタート

今回の僕はハンドベル奏者MOMOさんのサポート(邪魔をしただけかも^^;)ということで・・・


なにしろ、本番1時間前に曲目を知らされて、音合わせもそこそこに・・・譜面は貰ったものの、老眼の僕にはよく見えなかったり・・・(>_<);

それでもなんとか、ごまかしごまかし・・・^^;
そのあとのハンドベルの体験コーナーは異常に盛り上がっちゃったりして・・・

僕も『私に人生と言えるものがあるなら』『オホーツクの舟唄』を唄っちゃったりしたのですが・・・テンションの上がった子供たちの前では・・・(T_T)

最後はウッチ&グッチーさんの怪しげ(?)なマジックやゲームで、これまた異常に盛り上がり・・・(^0^);

反省しきりのひとときでしたが、子供たちの笑顔とホッとしている様子のお母さんたちから、元気を貰ったような気がしました。
ウッチ&グッチーさんの司会進行でスタート

今回の僕はハンドベル奏者MOMOさんのサポート(邪魔をしただけかも^^;)ということで・・・


なにしろ、本番1時間前に曲目を知らされて、音合わせもそこそこに・・・譜面は貰ったものの、老眼の僕にはよく見えなかったり・・・(>_<);

それでもなんとか、ごまかしごまかし・・・^^;
そのあとのハンドベルの体験コーナーは異常に盛り上がっちゃったりして・・・

僕も『私に人生と言えるものがあるなら』『オホーツクの舟唄』を唄っちゃったりしたのですが・・・テンションの上がった子供たちの前では・・・(T_T)

最後はウッチ&グッチーさんの怪しげ(?)なマジックやゲームで、これまた異常に盛り上がり・・・(^0^);

反省しきりのひとときでしたが、子供たちの笑顔とホッとしている様子のお母さんたちから、元気を貰ったような気がしました。
2011年03月15日
2011年02月06日
北方領土の日・・・

明日、2月7日は《北方領土の日》なんだけど、皆さん関心はありますか?
僕は道産子なので、島を追いやられてきた人が近所に居たりして、子供の頃から憤りを感じていたものです。
自分の家に他所の人が勝手に住み着いたとしたら・・・我慢できますか?
今の政府は、まず経済政策を優先して・・・と言っているようですが、以前「まず2島を変換して・・・」と、ロシアが言ってきたとき、4島にこだわってしまい、結局何も進展していない・・・。
逆に、ロシアは4島の開発に力を入れ始めた。
日本政府の弱腰が招いた結果だと思います(尖閣諸島も同じ・・・)
もう、故郷に帰ることもできずに亡くなった方も沢山いらっしゃると思います・・・というよりも、殆どが亡くなってしまったんじゃァないだろうか・・・。
北方領土
タグ :北方領土